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西鉄バスジャック事件

西鉄バスジャック事件(にしてつバスジャックじけん)は、2000年(平成12年)5月3日に発生したバス乗っ取り(バスジャック)事件です。西鉄高速バス乗っ取り事件や佐賀バスジャック事件、インターネットの掲示板に残された犯行予告のハンドルネームからネオむぎ茶事件(ネオ麦茶事件)ともいわれています。
2000年5月3日12時56分頃、佐賀第二合同庁舎(佐賀県佐賀市)発西鉄天神バスセンター(福岡県福岡市中央区)行きの西日本鉄道(西鉄)の高速バス「わかくす号」(佐賀営業所所属車両、車番8544)は、定刻通りに佐賀第二合同庁舎を出発した。西鉄天神バスセンターには、14時6分に到着する予定でした。

その後、13時35分頃、九州自動車道太宰府インターチェンジ付近で、刃渡り約40センチの牛刀を持った17歳の少年が運転手に牛刀を突きつけ乗客に対し「おまえたちの行き先は天神じゃない。地獄だ」と言い、バスを乗っ取った。犯人は西鉄天神バスセンターに行かずに九州自動車道をしばらく走行するように運転手を脅し、乗客に対し様々な指示を繰り返した後、最後にカーテンを閉めるように指示。その後、山口県の山陽自動車道に達するまでに乗客3人を切りつけ、2人が負傷し、68歳女性1人が死亡した(後述)。日本のバスジャック事件において、人質が死亡した初めての事件となりました。

乗務していた運転手によると、ハザードランプの点灯やパッシングをするなど外部に異常事態を伝えようとしていました。通報があったのは北九州市門司区の九州自動車道新門司インターチェンジとされ、対向する車両の運転士が気づいていたか否かは公になっていません。

なお、このころ、西鉄佐賀自動車営業所では西鉄天神バスセンターへ到着しない当該バスに対し、所内から何度も無線で当該バスに応答を求めていたが、当然応答がなかった。無線は北九州市門司区辺りまでが交信可能エリアだったため、山口県に入ってしまうと無線が途切れる可能性が高かったといいます。西鉄は15時30分頃に、本社内に対策本部を設置し約20人が情報収集に当たったがこの時点ではまだなにも分からず、更に乗っ取られた高速バスわかくす号は、予約制ではないため乗客の身元の確認に時間がかかった。また当日は博多どんたくの期間中で、バスセンターや高速バスの利用者も多かったそうです。

バスは九州自動車道から関門橋および中国自動車道に入り、この頃には山口県警に事件は周知されており警察車両はバスを追尾していました。警察が追尾を開始していた頃、山口県小郡インターチェンジ付近で走行中のバスから高速道路に飛び降りて負傷している乗客を警察が発見し、乗客1名を救出。この乗客の証言により警察はバスで負傷者が出ていることを把握することとなりました。バスは山口ジャンクションから山陽自動車道に入り、下松市の下松サービスエリア付近では警察車両に行く手を阻まれ減速したバスから身を乗り出した乗客1人が、警察に救出されました。この頃にはマスコミ各社も事件の報道を開始しており、この男性乗客が救出される瞬間はテレビでも中継された。警察は山口県での解決を断念して封鎖を解除、バスを広島方向へ走らせました。その直後、犯人の少年は逃げた乗客の「見せしめ」として、更なる凶行へ及んだ。バスは広島県へ入り、広島市安佐南区の武田山トンネル付近で男性客全員を解放した後、東広島市の奥屋パーキングエリアに入り数時間停車しています。ここで警察の説得により犯人は差し入れを提供するという条件で負傷した人質3人を解放したが、うち一人はすでに失血死していた。こう着状態が続いた後、バスは再び動き出して隣の小谷サービスエリアまで行き、ここで長いこう着状態となります。ここで、広島県警は、食料や簡易トイレ、毛布などを乗客に差し入れました。少年の家族も説得の為に現場に到着したが、少年は応じることを拒否しています。バスが停車中の小谷サービスエリア近くでは、福岡県警と大阪府警の特殊部隊 (SAT) によって、突入任務を帯びた機動隊員と機動捜査隊員に速成の訓練ならびに図上演習が施されています。

事件発生から15時間半後の4日午前5時すぎ、小谷サービスエリアで停車中、警察官による説得中に、「手袋を路面に落とす」という突入の合図を受けた15名の隊員の突入により少年は逮捕されました。この突入で機動隊員1名が犯人に左足を切り付けられ負傷したそうです。この事件の様子はテレビで生中継されました。

犯人の少年が「ネオむぎ茶」の固定ハンドルネームを用い、犯行前にインターネット掲示板「2ちゃんねる」に書き込みを行っていたことや、SATが出動したことで話題となった。SAT隊が突入する際、音響手榴弾(スタングレネード)が日本で初めて使用され、以後人質籠城事件で広く使われることになりました。

2006年2月1日、加害者の元少年(成人していた為、「元少年」と記載)が先月中に仮退院していたと報道された。社会復帰への訓練を始めたとされています。

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    動機

    少年は中学校でいじめに遭遇、家庭内暴力で家族を悩ませました。親が学校にいじめの相談をするが、当の学校や教育委員会はいじめの事実を認めなませんでした。高校受験が目前に迫った1998年1月、クラスメイトたちの挑発を受けて、踊り場から飛び降りるも着地に失敗して重傷を負い入院。病室で佐賀県立致遠館高等学校を受験して合格したが、入学後、校風が合わないという理由ですぐに中退してしまったそうです。

    不登校となった少年は、親にパソコンをねだり、2ちゃんねるに寝食を忘れるほど熱中、家庭内暴力がますます悪化していていきます。危険を感じた親が警察や精神科病院に相談するも、事件を起こさない限り対処できないと双方から断られてしまいました。そこで最後の頼みの綱として、頻繁にテレビに出演して著書を出している精神科医の町沢静夫に連絡を取って相談。町沢は親にも少年にも一切面会しなかったが、親からの要請を受けて2000年3月5日、佐賀県警と国立肥前療養所に電話。肥前療養所はすぐに少年の医療保護入院を許可し、即日入院となりました。

    国立肥前療養所に入院が決定した時、少年は親に絶対許さないと発言していたが、実際に入院すると、医療スタッフや他の入院患者たちにも礼儀正しく、家庭内暴力で家族を悩ませていたとは思えないほどしっかりしていたそうです。やがて、少年と親と医者と話し合いの上で、少年の外出許可が出る。病院に帰ってから、愛知県で少年が老夫婦を殺傷する豊川市主婦殺人事件を知り、少年は手記にこの少年犯を褒め称え、自分も早く彼のようになりたいと書いていたといいます。この手記の内容をまったく知らなかった医者は、少年の外泊許可を出しました。帰宅した少年は当初、自分がいじめを受けていた母校の中学校において無差別殺人を行う予定だったが、ゴールデンウィークで休校だったため、バスジャックを実行しました。

    事件後、町沢はマスコミや著書を通じて、少年や親を擁護する一方、国立肥前療養所を批判しました。これを受けて、肥前療養所の記者会見では院長が、少年に一度も面会せずにテレビや雑誌で肥前療養所に対する批判を述べていた町沢に対して「こういう態度は臨床医としてあるまじき行動であり、町沢に怒り心頭に発している」と述べた(後日、町沢の態度が精神科関連の学会や家庭内暴力関連の団体から厳しく批判された)。

    2ちゃんねる

    犯人の少年は2ちゃんねるが創設されてから間もない頃、「キャットキラー」という固定ハンドルネーム(コテハン)を用いて2ちゃんねるに書き込みを行っていたそうです。ところが当時発足間もない2ちゃんねるではコテハンの存在を嫌い、コテハンがしつこく居座るスレッドにはいわゆる荒らしとして無意味な書き込みやブラクラなどが貼り付けられ、コテハンの発言を意図的に遮っていました。当時はモナーやギコ猫といった2ちゃんねるでおなじみのアスキーアートも浸透していませんでした。

    これを不愉快に受け取った犯人は「キャットキラー」を名乗り、ギコ猫を貼り付ける匿名ユーザーに対し挑戦的な言動を仕掛け、2ちゃんねると言うコミュニティで煙たがられることに逆上し、わざと居座り匿名ユーザーの感情を逆なでし、無意味な書き込みでスレッドが回転することを煽り、そのうち「1000レス目を取ったほうが勝ち」という勝負を提案した犯人は1000レス目に至るまで短い書き込みで自分の名前「キャットキラー」入りの投稿を繰り返したが、999レス目の後で「1000, 1000, 1000, 1000, (中略)僕の勝ち!」という比較的長めの投稿を(おそらくあらかじめ用意せず999レス目を書き込んでから手動で)書き込んでいるうちに他人が1000レス目を書き込み、犯人の書き込みは1001レス目となりました(この頃は1000までのレス数制限は設けられていなかった)。これに逆上した犯人は罵詈雑言を書き込んだ後でキャットキラーの名前を返上することを宣言したが、名無しに戻ることを予想していた匿名コミュニティの意思に反し「キャットキラーからネオむぎ茶に改名する」とコテハンを名乗り続けることを宣言し、余計に反感を買ったそうです。さらに「ネオむぎ茶」というスレッドを立てて書き込みを募るが、匿名ユーザーたちからの反応は「氏ね、と言われたいんですか?」などとそっけないものでした。

    このスレッドに犯人は友人からの書き込みという名目で「彼は精神病院に入院しました」と書き込むが、犯人は普段から友人がいないとこぼしていたためこれが本人の書き込みであるとうわさされました。だが前述のとおり実際犯人はバスジャック犯行前のある時期に精神科病院に入院していた時期があり、犯行時は仮退院中という扱いであった。仮退院の翌日、犯人は近くのホームセンターで包丁を購入、再び「ネオむぎ茶」のハンドルネームを使い、2ちゃんねるにスレッドを立て、「ヒヒヒヒヒ」とだけ書き込みをのこす。これが事実上の犯罪予告とみなされ、2ちゃんねるに対するマスコミの批判的な報道がなされました。

    また、2ちゃんねる内で、犯人に対し犯罪を煽るような書き込みを何度も繰り返していた東京都内の男性が、事件後佐賀県警から事情聴取を受けていまし。なお、この男性は6浪の末、2000年に司法試験に合格して弁護士となったそうです。

    社会的影響

    この事件は、1997年に発生した神戸連続児童殺傷事件に次いで、「1990年代以降の日本の少年犯罪凶悪化を象徴する事件である」と言う人もいます(神戸事件の犯人と同学年でもある)。また、この事件の直前には愛知県豊川市で17歳の少年が面識のない主婦を殺害する豊川市主婦殺人事件が起こっており、両事件の「犯人が17歳」という共通点をマスコミが過度に強調して「キレる17歳」という言葉が世間で流布され、17歳(あるいは10代)の人に対する社会的偏見を惹起しました。また犯人の世代から「理由なき犯罪世代」と呼ばれることもありました。

    なお、犯人は1997年の神戸事件の犯人を崇拝し、3月に「酒鬼薔薇聖斗」と署名した犯行予告を各所に送っていたといいます。またバスジャック直前に発生した同年代の少年による豊川市事件については事件直前の手記で人殺しをした少年を賛美する記述をしていたそうです。

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